ロースクール構想の誤解?


桐蔭横浜大学法学部助教授(法情報学) 笠 原 毅 彦 (2001.2.26)









1. ロースクール構想の背景

笠原 正直、法曹大学院なり法科大学院構想が出てきたときは、なぜこんな面倒なことをするのだろうと思いました。1980年代末の法曹基本問題懇談会にしても、1990年代の法曹養成制度等改革協議会にしても、基本的な問題点は資格試験にすぎない司法試験が司法研修所における司法修習の定員から、極端に合格者数が押さえられていた点にあったわけです。どの程度、どのように増やすか、何を試験すべきかという司法試験改革が議論の中心だったわけです。
 もう20年も前になりますが、私の学生時代から司法試験の合格者を増やすことの必要性が指摘されていました。司法修習の定員があるから増やせない。ならば司法修習の定員を増やすべき、それには予算がないという、逆立ちした議論がされていました。当時司法試験委員の私の恩師が呆れていたのを想い出します。
 三権分立といいながら、国家予算一般会計のわずか〇.四%という、司法試験の合格率もびっくりするような司法予算です。これを一〇倍に引き上げてせめて四%にして、司法研修所を大きくし、裁判所・裁判官を増やし、法律扶助、国選弁護の手当等を大幅に引き上げていれば、それだけでほとんどの問題は解決していたのではないでしょうか。もちろん、裁判官、検察官任官志望者が増えるように、過酷な転勤を緩和する等の措置は必要と思いますが。
 仮りに今、司法試験合格者を5000人にして(3000人でフランス並みになるというのは間違いです。)、これに対応した司法研修所を札幌・東京・大阪・福岡に作り、裁判官・検察官の定員を五倍程度にし、法律扶助の総額、国選弁護等の手当を一〇倍にしたら、どういった問題が残るのか。暴論にすぎない意見かもしれませんが、そこに残る問題が、法曹教育の在り方、大学教育の在り方の問題だと考えています。もし司法研修所の予算がないから大学を利用するという発想であれば、相変わらずの逆立ちした発想でしかないように思えます。


 
2. 定員と法曹の質

聞き手 定員を増やすと法曹のレベルが落ちるという批判があることについてはどうお考えですか。

笠原 個人的な経験を一般化することの危険性については十分承知しているつもりですが、ドイツの口述試験に陪席した経験から話しましょう。
 ドイツでもアメリカ同様、法学部出身者は原則法曹になる資格試験が行われるのですが、私が傍聴した試験では、5人の受験生が5人の試験官と対峙して座り、それぞれ専門の大学の教員が質問をしていました。驚いたのは、5人の内4人まで中間判決と一部判決の区別ができていない。万引きをした女性を脅して店主が不当な金銭賠償を求めたという刑法の事例で、5人の内4人までが実行の着手の時期の問題にしか気が付かないというレベルでした。翌日、森でたまたまその試験官の教員の一人に会い、この試験の話になったのですが、「合格者は一人だけでしょう。」と聞いた私に、「いや。5人の内4人合格した。昨日はまだ良いほうで、一昨日はひどかった。」との答え。日本のレベルからみれば信じられないものでした。ドイツの普通の学生と話をしても、雄弁ですがレベルが高いと感じたことはほとんどありません。
 アメリカのロースクールについては学生としての経験がありませんので判断できませんが、アンダーグラデュエイトで一切法律を教えず、三年のロースクールのみの教育ですから、卒業生の知識量という意味ではかなり難しいものがあるのではないかと推測しています。
 弁護士会や法務省からは、現状の1000人でもレベルが低下してきているとの危惧が出ているのですが、日本の択一試験に受かる受験生が、平均してみて、知識・解釈の領域でドイツ・アメリカの新人の法曹より低いレベルにあるとは思えません。
 ただこれは、法曹としての総合的な能力という意味で、日本の方が優れていることを意味しているわけではありません。例えば弁護士に求められる交渉力、議論する能力、新しいものに対処する能力といったものは、異常なまでの作文力と解釈力を求められる今の司法試験では問題にならないわけです。現在のような変革の時代、国際的な交渉が多くなっている時代に、今の試験のままでよいのかは非常に疑問を感じます。
 今の司法試験を前提にすると、レベルが落ちるくらいでちょうど良い。むしろ、もっと現在の試験とは異なる能力を図る必要があるのではないかと考えています。その意味では、5000人程度に合格者を増やしたところで、質の問題が生じるというのは誤解だと考えています。むしろ、試験や教育で看過されている質の方が心配です。
 例えば会社更生法の管財人になれる弁護士の養成、特許やビジネスモデルでアメリカの弁護士と対等に張り合える弁護士の養成、情報革命についていける裁判官・検察官の養成等、やらなければいけないことは山積みしているのではないでしょうか。



3. 法学教育と法曹教育

聞き手 では大学における法曹教育ないし法学教育の現状はどうでしょう。大学における法学教育は教養法学にすぎない。今の大学に法曹教育は無理であるとの意見もあります。

笠原 文部省の統計によれば、法経学部を除いた法学部の入学者は4万5460人です。中途退学する人を除いても、4万人以上の法学部卒業生が居ます。これに対して法曹実務家になる人は、司法修習との関係で長い間500人以下に押さえ込まれていました。仮に4万人中の500人とすると、わずか1.25%しか実務家になっていなかったわけです。しかもトップ数校がその半分近くを占めていました。
 そういった状況の中で日本全国の法学部を考えた場合、ごく一部の法曹志望者を対象の教育をすることは、学内に法曹専門コースを別途設けない限り無理があります。司法試験合格者数で有名な大学も、多くは法職課程や司法研究室等、大学の教育とは別のコースを設けていまして、その意味では司法試験予備校が出来る以前からダブルスクールだったわけです。いま、司法試験予備校に対する批判が多いのですが、受験ノウハウを特定有名校に行かないでも知ることができるようにし、早く受かることができるようにしたという面では、意味のあることだと考えています。
 私の経験で考えてみますと、四年ほど民事の模擬裁判を担当していました。訴状や準備書面を書いてもらったり、証人尋問をしてもらったり、学生にとっては通常の講義よりも楽しいものだったかもしれません。しかし、教えながらほとんどの学生にとっては、今後の人生の中で二度と書くことのないであろう書類だということを考え、何を教えれば彼らの役に立つのか悩んだことがあります。
 結局、要件事実の構造を教え、訴訟法の観点から実体法を見ることができるようにすることで、より実体法が理解できるようにと考えたのですが、私自身もそこから多くのことを学びました。
 今は大学で法情報学と情報法学を教えることを専門にしています。ネットワーク社会が社会制度、翻って法制度に大きな影響を与えるというのが研究を始めた動機ですが、それと別に、法学部を出ても内容証明郵便一つ書けない、ある法律問題の資料を集めることもできないという法学教育に疑問を感じたことも理由の一つです。
 役に立たない教養法学との指摘は、教育に携わるものとして謙虚に受け止める必要があると思います。しかし、早稲田大学の奥島総長も書かれていましたが、現在の法学教育はごく一部の学生のみが法曹になるという学生側の需要から形作られたもので、それは司法修習制度の定員が生み出したものでしょう。大学はむしろ、より専門的なことを教えたいと考えているのではないでしょうか。(もっとも研究以外評価されない現状で、教育を熱心に考える教員がどのくらい出るかは疑問が残ります。)
 一言で言えば、大学に法曹教育ができないというのであれば、日本の大学だけがアメリカやドイツの大学と違うことになります。私の意見では、それは法学部がなぜ今のような形になったかを考えていない誤解だと思います。もし、卒業生が原則法曹になるような法学部であれば、法学教育も自ずから変わってくるはずです。



4. 大学に実務教育は馴染むか

聞き手 大学の教員に実務教育は無理であるという意見があります。

笠原  ロースクールの老舗ともいうべきハーバードロースクールで、ソクラティックメソッドを確立した法学部長のラングデル教授は「法を教える資格の源泉は、弁護士事務所の仕事についた経験ではなく、人間を扱った経験でもなく、法廷での経験や弁論の経験でもない。要するに、法を使った経験ではなく、法を学問として学んだ経験なのである」と述べたそうです。自身が弁護士出身であるにもかかわらず、法律学を教えるのに実務経験は不要として、実務経験を持たない法学者を教授陣に採用したといいます。この意味では、ロースクールになるために争うように実務家を大学に入れようとしている今の法学部は全く逆の方向を指向しているわけですね。
 先に述べたように、私も現在の法学教育があまりに観念的、教養的になりすぎていると考えています。またラングデル教授は、当時のアメリカの職人教育的な法学教育を変えて科学としての法学を打ち立てようとした背景があるように思います。しかし、大学で実務教育が行き過ぎると大学の意義がなくなるのではないかと危惧しています。実務教育だけでよいのであれば、極論すれば、法学部をなくして全国に司法研修所のようなものを作ればいいでしょう。
 「職業訓練重視の原則が、科学的訓練の原則と争ってきた。同時に教養教育との統合の原則が、それとは区別すべきだとの原則に対立してきた。」アメリカのフリードマンの言葉といわれます。このバランスをどう採るかが問題で、そのための組織が必要になると思います。法曹一元という制度の違いはありますが、弁護士会とロースクールが協議・協力しているアメリカのやり方は参考になると思います。
 むしろ疑問に思うのは司法研修所のことです。法曹の質・地位の向上、法曹三者の融合という意味で、果たしてきた役割は高く評価されるべきだと思います。しかし、なぜ法曹だけが、国家から教育を受ける必要があるのでしょう。国家権力からの独立の必要を訴え続け、監督官庁のない自治組織を作り上げた弁護士会こそ、その任に当たるのに相応しいのではないでしょうか。ロースクールができると法曹養成に文部(科学)省の意向が入ってくるという弁護士の批判がありますが、現在でも司法研修所は最高裁判所とはいえ、国家の下にあります。
 将来法曹一元が実現するとすれば、全員がまず弁護士になるのですから、司法研修所を廃して弁護士会が研修制度を作り、アメリカと同様に大学と協働するような体制が望ましいと考えています。
 ロースクールができたとしても、そこで実務技術訓練をすることは相応しくありませんし、また不要でしょう。ただ、判例や論文等の法情報を集めることができるようにし、模擬裁判を通じて要件事実の意味を教える程度のことは、ロースクールどころか法学部でも必要だと考えています。



5. なぜロースクールなのか? ロースクールとは何なのか?

笠原 確かつい数年前、文部省は一般教養科目を廃止して基礎科目にしました。大学をドイツ的により専門的なものにしようとしていると理解したのですが、今は法務省と協働して、アメリカ的に法学部を教養課程にして大学院を専門課程にしようとしているようにみえます。私が未だに理解できない点です。生涯教育との関連での大学院重視の方向性で一致しているといえば一致しているのですが。
 ロースクール構想は三つのタイプが提唱されていますが、これに関する議論は既に様々なものが出ていますので、そこでの議論で出ていないことに触れたいと思います。
 先日、アメリカの五箇所のロースクールと合同セミナーを開くという経験をしました。その折りに、食事をしながらロースクールのことをいろいろ聞いてきたのですが、面白い話を聞くことができました。
 例えば、アンダーグラデュエイトとグラデュエイトの区別ですが、William & Mary 大学の教授によれば、これは先に移住してきた人が後から移住してきた人を差別するためにできた制度だそうです。要は英語もろくに喋ることができない後発移住者には一般教養を教えるだけの学校に行かせ、先住者の既得権益を守ったというのです。出身地の国籍問題も絡む微妙な問題を含んでいたといいます。
 もっとも出自がどうあろうと現在有効に機能していればよいのですが、ロースクール三年間では足りないので、アンダーグラデュエイトである程度法学教育をすべきという提唱がなされているという話も、複数の大学の教授から聞きました。(もっとも、一番力が入れられているのは、ネットワークを使った遠隔教育だそうですが。)そうだとすると、アメリカ式ロースクールよりも京大の田中教授案や東大案の方が優れているかもしれません。



6. ロースクールはどうあるべきか

笠原 特定の大学にロースクールを置く形は、新たな大学間格差を生みそうですね。個人的には連合ロースクールでいくつかの大学ないし特定の地域に一つのロースクールを作るのが一番公平に思えますが、この問題には今触れません。また、大学院をロースクールにするという東大案を前提に話しをします。
 東大式は、法学部四年の他にロースクール三年、研修所の修習と長くなりすぎるとの批判がありますが、学業が優秀であれば、高校を二年で終わらせることができ、大学も三年で終わらせることができるようになりそうですから、修習期間が短縮されたことを考えるとほとんど今と変わらないで終わらせることが可能です。(この形は旧制高校の復活と評価できるかもしれません。だとしたら日本の戦前の教育に様々なノウハウがあるわけですからこれを生かすことができるでしょう。)
 また、ロースクールの学生が原則合格できる資格試験にするのであれば、実質、平均で今よりはるかに短いものになります。更に言えば、学費の問題は、法律扶助同様少なすぎる奨学金が問題とされるべきで、過半数の学生が親のすねをほとんど囓らなくても済む奨学金制度作りで解決されるべきです。広い意味の教育は親が一番の責任を負うべきですが、学校教育は親に収入格差がある以上国が負うべきでしょう。(表現は悪いですが、利権のための土建屋政治を止めればそれくらいのお金はいつでも出すことができると考えています。)
 教育内容から見ると、拡大する弁護士業務に対応する教育と裁判外紛争処理から先端技術に至る教育を、法曹養成のどこかで補う必要があると思います。その意味では、ロースクールの教育ををどうするかより、ロースクールと法学部の役割分担を考える必要があります。そしてこれは、隣接士業の問題と密接に結びついてきます。単なる教育問題以上の司法政策の問題です。
 教育問題に限定すれば、そこでのキーワードは「情報社会化」と「国際化」でしょう。例えば法学部で法学教育と並行して情報関連科目か語学を選ばせ、徹底して教える。その上でロースクールで要件事実教育を含む法曹教育をするという形を採るのも一案です。もっともここまで行くと、むしろ法学部を廃して、いずれかの大学を出た上でロースクールに入るという柳沢弁護士の案が魅力的に思えてきます。私は失業しますが(笑い)。
 余計なことかもしれませんが、「国際化」の言葉には一言付け加えることが必要でしょう。「英語を学ぶ」ことではありません。国際化する紛争に対応できる法曹の養成ということです。特許やビジネスモデルの紛争で、国外でも交渉することでき、ディファクトスタンダートという意味でのグローバルスタンダードを交渉の上で作り上げ、あるいは勝ち取ることができる法曹の養成という意味です。
 アメリカでは弁護士の国際化が後れているという反省が出ていると聞きます。英語が支配的ですから英語の文献しか読めず、本当の意味で相手の理解ができないという反省です。この意味では、日本語はあまり普及していない言語ですし、普及の努力もなされていませんから、日本の法曹は国際化できる可能性があります。
 いずれにせよ、現在の自分の仕事がなくなることを覚悟してでも、あるべき法曹の議論を更につくすべきだと思っています。

聞き手 今日はありがとうございました。


「法律文化平成一三年度版三月号より許諾を得て転載」