「 裁判員制度は家族の問題でもある 」 
2009.9.8  

池内ひろ美


裁判員制度は司法への市民参加だといわれる。 市民の感覚をいかすものだという。

市民が司法に参加するとはどういうことだろう。私はふだん夫婦・ 家族にかかわる相談を受けているが、 普通の家庭生活を送っている市民にとって、 家庭裁判所での調停や民事訴訟を経験することはあっても、 刑事司法は縁遠いものだ。 ましてや凶悪事件など一生かかわることなく穏やかに過ごしたい、 それが市民の生活感覚というものだろう。

裁判員に選ばれる市民とは、あなた自身か、あなたの家族だ。 家族のなかに裁判が入り込むことへの違和感を強く感じる。 日々家族問題の相談を受けている現場で聞く声は、
「家庭裁判所で調停をするんです。行くのが怖いんですけど、 どうしたらいいでしょう」
「お隣のお家ともめてしまって、 もしも裁判になったらどうしよう、不安です」
刑事裁判どころか、 民事裁判や家庭裁判所であっても不安や恐怖を覚えるのが一般の生 活者である。殺人や放火などの凶悪事件にかかわりたくない、 刑事事件と民事事件の区別もつかないまま平穏な幸せを願う生きか たが間違っているとは思えない。

なぜ素人の市民が裁判に参加しなければならないのか。

今はプロの時代だ。毛髪のカット・パーマを美容師に頼み、 庭木の剪定は植木屋に頼み、出産は産科医か助産婦に頼む。 子どもの教育を塾や家庭教師に頼み、 老親の介護をヘルパーが行う時代に、 素人が裁判を行うのはどうなのか。 夫の浮気や嫁姑問題といった裁判であれば市民感覚もいかせるかも しれないが、殺人、放火、強盗致死傷などの凶悪事件こそ、 捜査も裁判もプロに頼みたい。個人的な意見では、 私の二十歳になる一人娘に強姦致死傷事件の裁判員など務めさせた くない。

プロを頼むのは医療現場も同じだ。たとえば、 現在の医療制度に問題があるという議論のなかで、 医療への市民参加を求めるだろうか。
裁判員制度ならぬ「手術員制度」を作って、 生死にかかわる重篤な患者のみ、 医師3名と抽選で選ばれた市民手術員6名が執刀する。

医学的知識は、手術員に対して医師から説明し、 術前に執刀医と麻酔医とオペ看が話し合って「手術前整理手続」 を行っておくから大丈夫だと言われ、 安心して我が身や我が子の手術を任せられるか? 
そんな医療制度に誰が納得するのか。 手術に初めて参加する市民は、 患者の体から流れる大量の血液を見て卒倒しかねないし、 内蔵の位置や病巣、病名のいずれも正確には把握できない。
しかも、 術中術後に患者が死亡しても手術員はなんら責任を負うことがない どころか、 誰が手術を行ったかも患者と患者遺族に知らされることもない。

裁判員制度はこれと同じではないか。

プロとして訓練を受けていない裁判員が、 被害者と被害者遺族を意図せず傷つける場合もあるだろう。 昨年12月から被害者参加制度も施行され、 裁判員裁判への参加では、 被告弁護人だけでなく裁判員の質問も受ける。

たとえば母親が、遊園地で幼いわが子を遊ばせていたとき、 子どもをさらわれ殺害される。 母親が3分間だけ子どもから目を離したすきに起こった事件だ。 彼女は子どもが殺害されたことで自分自身を責め、 その苦悩を一生抱えるだろう。

被害者遺族として母親が法廷に立つとき、職業裁判官は、 落ち度をつく類いの質問はしない。 しかし一般の生活者である裁判員が、自らの感情を含めて、 次のような質問を投げ掛ける可能性を否定できない。
「あなたは、愛している子どもから、 なぜ3分間も目を離したんですか?」
これが被告弁護人からの質問であれば、検察官は「異議あり!!」 と声を上げるし、裁判官も異議を認めるだろう。しかし、 裁判員の質問を誰か止めることができるだろうか。犯罪被害者は、 法廷で、まるでセカンド・レイプのような扱いを、 同じ市民である裁判員から受けることもあり得るのではないか。

その公判と評議によって裁判員が知った秘密は生涯守り通さなけれ ばならない。国が国民に秘密を持てと強制するのは奇妙だが、 家族間では秘密が増えたときから崩壊に向かいはじめる。そして、 残念ながら多くの人は秘密を話さないではいられない。

それが凶悪事件の裁判ではなく、少し身近な「浮気」 ではどうだろう。それを行ったのが夫でも妻でも、浮気はバレる。 バレる理由は携帯電話や態度からでもあるが、 多くは自らばらしてしまう。配偶者と子どもには言わなくても、「 俺はこんなにモテるんだ」 と職場の同僚や友人につい語りたくなる。 秘密を抱えるのが苦しくて、楽になるために告白する人もいる。 自分が犯した過ちですら人は自ら喋ってしまうし、 非日常の体験を秘密にしておくことは困難だ。 そして凶悪事件の裁判は非日常である。 いくら秘密漏洩は6月以下の懲役か50万円以下の罰金と厳しい罰 則を設けても、 裁判員として知った重大な秘密を生涯秘匿できるのだろうか。

裁判員制度では、 好むと好まざるにかかわらず凶悪事件にかかわりを持たされ、 被告人の生死すら決める「苦役」を強いられ、判決後も、 誠実であればあるほどストレスを抱え続けるだろう。それが、 あなた自身か、あなたの家族の身に起こることだ。

裁判員制度に対して私が疑問に思うのは、 法律だけではなく情緒であるし、家族の問題でもあるからだ。

さまざまな困難を越え、 どうしても裁判員制度に市民が参加するのであれば、 せめて裁判員は私服ではなく法服を身に纏ってほしい。
裁判官の黒い法服には意味がある。
「どんな意見にも左右されない、どんな色にも染まらない黒」、 それが法服の意味だ。
大切なその意味を無視していいはずがない。 裁判員が人を裁くのであれば、法服の意味を知り、身に纏い、 礼儀をもって裁判にのぞむべきではないか。

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